くわちゃん家の日記

ひろちゃん&りっちゃまの近況報告を中心に、くわちゃん家に起こった楽しいことを書いています。

乙武洋匡さんの講演会に行ってきました

今日は横浜市西公会堂で開かれた“横浜市人権講演会「みんなちがって、みんないい」”を聞きに行ってきました。講師は「五体不満足」で有名な乙武洋匡さんです。
1時間半にわたるお話、とってもおもしろかったです。時にはユーモアを交えて笑いが起こったり、子どもが起こした事件について真剣なお話があったり。
乙武さんの講演は人気で、今回も定員の何倍もの応募があったとのこと。それも納得の内容です。
私がいくつか心に残った話を記録しておきます。

  • 乙武さんは重度の障害を持ちながらいつも明るいですねと言われる。その理由を考えてみると、やはりまわりの大人、とくに両親の育て方がよかった。どんな障害があっても僕は生きていていいんだ、両親から大事にされ愛されているんだという“自己肯定感”を持つことができた。
  • 講演会タイトルの「みんなちがってみんないい」は金子みすずさんの詩の一節。

わたしが両手をひろげても、
お空はちっともとべないが、
とべる小鳥はわたしのように、
地面(じべた)をはやくは走れない。

わたしがからだをゆすっても、
きれいな音はでないけど、
あの鳴るすずはわたしのように
たくさんのうたは知らないよ。

すずと、小鳥と、それからわたし、
みんなちがって、みんないい。

障害を語る時「誰にでも長所はある」といい点が強調されることがあるが、この詩は「〜はできない」とネガティブな点を取り上げて「それでいい」と言っている。もっと社会全体が「誰も完璧ではない、できないことが人それぞれみんなある」ことを認めて支え合っていけるようになればよいと思う。

  • でも幼い子どもは「自分にはこれができないけれどこれはできる」と自己を客観的にとらえて分析することは難しい。子どもを育てるうえでは、その子のできないことだけではなく、できることをまわりが見つけて徹底的に褒めてあげることも大切。
  • (質疑応答タイム、聴衆からの「障害とは何であると思いますか?」に答えて)障害は“違い”であると思う。障害は個性と語る乙武さん、という表現をされることがあるが、「障害は個性である」と言ったことは一度もない。日本では個性という言葉は「あの人は個性的」「それがあの人の個性だから」と良い意味で使われるが、では障害は良いものか。みずからすすんで障害者になりたいという人も、誰かの障害を代わりに引き受けたいという人もいないでしょう。そういう意味では「障害は個性」というのは強がりだと思うし、無理に良いものであるかのように捉えることで、改善すべき点から目を背けてしまう可能性もある。人それぞれできないこと、できること、という違いにきちんと目を向けて認めてあげるべき。

親の育て方次第で障害がなくなることはありませんが、子どもが障害を持つ自分をどう捉えるか、障害とともに生きていく人生をどういう心構えで生きるかは、親の育て方が大きく影響すると乙武さんの話を聞いていて思いました。